*TCGについての考察 [#i7b807f8]
ふと考えたのだが、TCGという産業は、最早停滞と衰退以外に道がないのではと思った。

そもそも須く娯楽という物は最終的には衰退して行く物なのだが、TCGに関しては、既に拡大の時期が終わっていると言う事に今更ながら気づくのだ。

既に、というのが何時からなのか。「シングルカード((カードを単品で売買する行為の事を指す))」と言う概念がプレイヤー=購買層に広まった時から、とするのが適当であろう。

そもそも、TCGに於いて、「紙カード」と揶揄される価値のないカード。これらが意味のないカードとなってしまった時点で、本来のTCGは終焉を迎える。

価値のないカード=意味のないカード。皆さんはこの等号を妥当な物だと考えるだろうか?多くの人は妥当であると頷くかもしれないと、私は考える((この部分はこの考察に於いての前提であります))。

だが、コレは全くの間違いである。価値のないカードが有るからこそ、価値のあるカードが存在し得るのだ。

そして、それが自然と認識されている状態が、TCGにおいて本来あるべき姿なのである。その点、現在のTCG事情は、不健全な姿であると言わざるを得ない。なぜなら、多くの人が前述のように考えてしまっているからだ。そして、商売という物は常にその「多くの人々」を対象に取らざるを得ない。たとえそれが、その産業を崩壊させる要因であるとしても。

ではなぜ、そのような価値観――不健全とされる考え――が支配的になったのだろうか。その原因が、「シングルカード」だ。そもそも、TCGにおける価値=カードの流通は、個々人の間でのトレードによって成り立つ物である。必要な物を、必要な物と交換する。Give and take。その際のtakeを捻出する為に、購買層はカードパックを購入し、カードが流通してゆく。「紙カード」も、「神カード((得に価値のあるカードを揶揄する言葉))」も分け隔て無く。

だが、ここに異端者が割り込んでくる。「シングルカード」を扱う商店だ。必要な物が、確実に手に入る。Give and ......。そう、ここにはtakeは存在しない。代わりに、商店の利益だけが存在する。そして、必要とされるカード=価値のあるカードのみが流通し、価値のないカード=必要とされないカード->意味のないカードという致命的な認識が世界を支配する。

重ねて言おう。トレードの為に犠牲となるカード――価値のないカード――が存在するからこそ、価値のあるカードは意味を与えられる。プレイヤーは、価値のないカードを無視する事は出来ない。価値のないカードを無視する事が出来る現状は、健全とは言えない状態なのだ。それは、「シングルカード」という利の生み出した最大にして致命的な弊害なのである。

ましてや、TradingCardGameをプレイする場でTradeを禁止するなど本末転倒であるといえよう。何がTrading......だ。

ただそこは商店であり、営利団体である。面倒を避けようとするのは当然であろう。いや、そういう問題を避けようとしないならばそれは営利団体としては失格とも言えるかもしれない。

いろいろと言ったが、ここで本題に入ろう。
……ウチも、大会の注意書きとして、「トレードに関するトラブル・カードの紛失など、お客様に起こった問題に関して当方は一切の責任を負いません。」と書くべきではないだろうか?

*続・TCGについての考察 [#y9dc444b]
所で、TCGが衰退の一途を辿ると言うのには、もう一つ理由がある。
それは、最早本来のゲーム性が失われつつあると言う所だ。

アメリカの数学者Richard Garfield((M;tGの創始者))が世に出したTCGは、当初クレバーな数学と経験則の世界であった。それが数多くの模倣を生み出し、市場競争に晒される事によって次第に、パワープレイの様相を呈して行く事になる。

後の多くのTCGのどれを見ても、同じような道を辿っているのがわかる。マジックは日本を始めアメリカ以外で大きく広まって来た辺りから、カードパワーの強化に加速がかかっていった。モンコレにしても、古代王国の遺産((最初の拡張セット))にはハイレベルなレアであるクローバーカードが無いなど、カードパワーは抑えめであったのだが、その後は加速の一途を辿っていった。アクエリにしても、双児宮は非常に控えめなエクスパンションであった。本来ゲーム的にはこのくらいのバランスでとどめるのが美しいのであろう。

加速を止める為には、レギュレーションの名の下に強力なカードを封殺する以外にはない。環境をリセットすることで、カードパワーを調節するのだ。
だが、事アクエリにおいては、そのタイミングですら、カードパワーの調整を行わなかった。むしろ、加速が続いている。

物事全て、進化の先には崩壊が待ち受ける。崩壊への進化を促進する者は、誰有ろうTCG購買層だ。購買層が広がるにつれ、その中における「大衆((ここでいう大衆とは、「一部の知識人」を除く「愚鈍な一般大衆」の事である。))」の割合は増して行く。そして、「大衆」は、変化を望む。

変化とは目に見える変化であり、TCGに於いては新たなカード・新たな戦術の提供であり、それはカードパワーの増加と言う形で提供する事が望まれる。営利団体は購買層の購買意欲を満たす為に希望に添った商品を提供する。行き着く先が闇であっても、営利団体は今日を生きる為にそういった物を提供する。

なぜ、ボードゲームやテーブルトークのプレイヤーがあまり増えないのか?それは、プレイヤーレベルの変化以外に、変化が得られないからだ。そして「大衆」は、プレイヤーレベルの向上という実感しにくい、苦労を伴う行為よりも、ただカードパワーの向上によって得られる手軽な変化の方をより求めるものだからだ。

考えても見るといい。知的ゲームであるボードゲームには、それに慣れていない人は参加する事すら難しい。レベルの低いプレイヤーが混ざるだけでゲームのレベルまで下がってしまうからだ。TCGでは、これはレベルの低いプレイヤーでもカードのレベルによってそれを補完する事で対処が行われている((デッキとしての体裁がなっていなくても「出れば強い」カードが出てしまえば勝てるといった事態が起こりうる。多くのボードゲームではこれらは認められないように出来ている。アブストラクトゲームであれば尚更、完全に起こりえない。「パーティゲーム」とはこの点が全く違う。人生ゲームやモノポリー等では運の占める割合が高い))。だが、これにはプレイヤーのレベルは低いままに終わってしまうという危険も伴う。

では、どうすればいいのか?答えはない。最早、止める事は出来ないからだ。動き出した「大衆」と、それを対象に取らざるを得ない営利団体。どちらかに崩壊が来るまで、この連鎖を断ち切る事は、できない。

*ついでに [#ud20c9f7]
ボードゲームの話が出たので。

一昨日のINKOGNITO。あのときXとZを渡したのはたまたまだと言ったが、実はそれなりの考えがあった。

どのように推理するかの勝手がわからなかった私は、あえて正体を示す事によって、相手の出方を見ようと考えたのだ。黒龍が例で示したとおりにZであったら?と考えて、ZとXを示したのだ。それで本当にZなのであれば、そちらからこちらにすり寄ってくるであろうと考えて。

もう1人に情報を渡す際には、当然黒龍の出方と比較する必要がある。そのため。黒龍の時と同じZとXを渡したのだ。目論見通り、次のこちらの手番でZと連絡を取る事が出来たため、この作戦は成功であったと言えよう。

つまり、あのゲームに於いて正体を特定される事は、同時に相手の正体を把握すると道義とも言える。%%はっきり言って、あのゲームは慣れた人間同士がやるとただの運ゲーになる可能性が高いのではないかと思った。%%いや待て。我々はとんでもない間違いを犯していたのかもしれない。黒龍は「体型には何の意味もない」と言った。だが本当にそうか?

違う。体型には確固とした意味がある。よく考えても見ろ。我々はBを捕らえる必要があった。だが、盤上のBの内、3人は偽者なのだ。つまり、あの時我々はBの体型を調査する必要があったのだ!((なんだってー!!(AA略) ))

我々は「正体カード」という言葉に惑わされていて、「正体」という言葉の真の意味を見失っていたのだ!即ち、「正体」とは「正体カード」と「体型カード」の両方に合致するものであり、「体型に意味が無い」などということは無かったのだ!

とまあ、勝手に盛り上がってますが、どちらにせよ序盤で大使が動いたら、プレイ時間が一気に短くなるね、コレ。前述の通りですぐに正体バレちゃうもん。後は指令によっては相手の体型知る必要も無いし……。

Top / 水無月神魔 / 2003 / 12 / 01
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